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Channel: へんろみち大将の 大好き!別府
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慈雲寺のマリア観音

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9月2日(日)国東市国見町に往く。
 
天草・島原を訪ねて検証したいことが幾つかあり、
ブログの仲間の国見ユースホステルさんに同行をお願いする。
 
国見町の集合場所に行って見て驚いた。
国見町のNPO法人のみなさん4名、石造文化財では大御所の国見町文化財調査委員会の
委員長の石本堅一郎先生までご高齢にもかかわらずお越しいただいているのである。
そして若き国東の「石像・石仏探検家」のみっきーさんまで来てくれているのである。
 
石本先生からは石造文化財の網羅された貴重な著作までいただいた。
大将はそうとは知らずとってもラフな服装でとても失礼をしたのである。
 
この日はとても暑い日であったが、大の大人が大勢で国東の山中に
キリシタンの石造遺物を探索するというちょっと珍道中となる。
 
国東市国見町伊美にある曹洞宗の寺、慈雲寺。
弾圧下のキリシタンに庇護をあたえた寺として知られる。
 
境内にかわった形の手水鉢がある。
 
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三位一体をあらわすという三つ葉クローバーの形の手水鉢。
「父と子と聖霊のみ名によって・・・」
 
その中に十字を隠しているのだという。
 
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そして同じく伊美から種田に抜ける山中にある清正公社でも見たハートの形の手水鉢。
やはりこれももともとは山中にあり、洗盤としての役割もあったのではないのか。
(参照2012年3月29日 ブログ)
 
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これらは江戸時代にキリシタンの信者が持ち込んだものという。
キリシタンは禁制になりどこかの寺に属する宗門改めで
形の上で仏教徒になった。そして潜伏キリシタン(カクレキリシタン)になる。
しかし国東では寺がキリシタンを庇護し
そうと知りながら匿ったようである。
 
それを証明するように、この寺には山門以外の入り口がある。
近年、車道として道を整備しているところは多いが
基本的には寺には山門以外の入り口は無いという。
 
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出先からわざわざ戻られてご説明いただいたご住職のお話では
山門の石段に小さな十字の踏絵が彫られたためにキリシタンの信徒は
山門を通って寺に入れずにそのため別の道を造ったのだそうである。
(参照2012年8月15日ブログ 天草本渡 明徳寺)
 
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これがそのキリシタンの道である。
 
この日は残暑厳しい中、一日中、国東の潜伏キリシタンに思いを馳せながら
遺物を訪ねる日となった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

慈雲寺のマリア観音2

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国東市国見町伊美の慈雲寺。
 
マリア観音がある。
 
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キリシタン大名、大友宗麟や少なからぬキリシタンは
当時、寺の焼き討ちを行った。
にも関わらずキリシタンをも庇護したという国東の寺の話。
 
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長崎から運ばれたというマリア観音像。
仏も神もキリストも融和する神仏混淆の地ならではである。
 
キリシタンの魔鏡も見せていただく。
 
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日光を反射させると磔刑のキリストが浮かび上がるという。
 
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島原・天草では見ることが出来なかった潜伏キリシタンの数々の遺物。
国東のやさしい自然、人、風土が生存を許したのだろうか。
 
山中に祈りの対象仏を見に行く。
 
しあわせしあわせ。
 
 
 

長田平庚申塔

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右手に十字架
 
左手には聖書。
 
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国東市国見町伊美川西地区。
 
偶然には出会えない山中奥深く
異相庚申塔が立つ。
 
正徳元年(1711年)。
 
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異相庚申塔とはキリシタン系の庚申塔。
 
隠れキリシタンの礼拝対象として刻まれた庚申塔にカモフラージュした石像。
 
少女のようなかわいい顔立ち。
 
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異相庚申塔。普通の庚申塔との違いは
 
十字架・聖書・ヘビ、
場合によりキリスト磔刑の受難具の釘・槌などを持つ。
 
青面金剛の憤怒の顔でなく、慈悲に満ちた優しい顔立ち。
 
西洋風の髪型、帽子、シャツ、靴、パンタロン風のズボン。
 
成形されずに自然石の形そのままに彫られることも多い。
 
本来、庚申塔は集落の辻の目立つところにおかれるが
異相は山中の外部の人の目にはまず触れないところに置かれている。
 
 
 
大分の地、特に国東にて特異に発展・彫像されたキリシタン石造遺物である。
 
しあわせしあわせ。
 
 
 
 
 
 

キリシタン童女の墓

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国東市国見町の山中に異相(キリシタン系)庚申塔を探索している途中。
 
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人気のない山中奥深くに小さな墓を見つけた。
 
 
 
 
お盆に天草・島原を訪ねた。
長崎県の復元された島原城の内部はキリシタン資料館になっており
島原の乱前後の迫害のすさまじさが絵で詳細に紹介されている。
 
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女、子供も容赦なく
生きたまま、雲仙地獄に投げ入れる。蓑を着せて衆人の前で火あぶりにする。手足を縛って海に投げ入れる。
まさに非道を尽くした弾圧である。
 
大分でも島原の乱後の1660年、豊後崩れ(豊後露見・キリシタンの大量発覚)がおこり
数百人が殉教したという。
先日、辻野教授にご案内・ご説明いただいた大分市葛木にある「キリシタン殉教祈念公園」。
ココに当時の弾圧の様子が北村西望氏によりレリーフで記されている。
 
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ココにあるのはレプリカで原本は南島原、原城近くにあった。(島原の乱の籠城地)
 
そんな記憶をたどりながら・・・・・
 
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文化4年(1806年)の銘がある。
幕府は島原の乱後は即処刑ではなく、棄教を迫るやり方を採ったという。
 
大人ならうまく折り合いをつけることもしただろう。
純粋なおさない少女は棄教を拒み、拷問に耐え切れずに殉教したのであろうか。
この墓を立てることさえ命懸けのはずである。
命を賭した抗議であろう。
 
童女を奪われた親の怒り・悲しみに立ちつくした。
 
昨日紹介した少女のような顔の庚申塔も
こんな思いで作られたのであろうか。
 
 
 
 

東葛原庚申塔

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国東市国見町伊美川西。
山中深く・・・
 
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キリシタンの礼拝対象であっただろう、
庚申塔に擬態した石像が立つ。
 
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宝永二年(1705年)建立。
 
当時は地震・津波が全国的に頻発し、宝永七年には富士山大爆発もあった
そういう時代である。
 
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村人たちは山中深くこの庚申塔に平穏を願い、
祈りを捧げに来ていたのであろうか。
 

新弟子?入門(^^)

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タイショー。
ちょっとバテ気味?
 
ボクもおてつだいするよ。
 
みてて。
いっしょうけんめい れんしゅう したんだから。
 
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うん、なかなかの手さばき。^^
ありがとう。
 
しあわせしあわせ。
 
 

秋はそこまで

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今日もたくさんのお客様にお越しいただいた
うれしい一日です。
 
メーカーにお勤めの転勤族Nさんご夫婦は、いつも大将の怪しいブログを
読んでくれています。
「内成のヒガンバナ、いつごろですか。」
 
リクエストにお応えして昨日開花状況を見てきました。
 
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葦が揺れる神楽女湖は秋近しという風情です。
 
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神楽女湖も昨年はこの時期にヒガンバナが見られたのですが
ことしは全くありません。
 
でも代わりにかわいいヒツジグサが迎えてくれました。
スイレン科のヒツジグサ。未(ひつじ)の刻(午後2時)頃咲くので
こう呼ばれます。
 
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ミズヒキ
 
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ツリガネニンジンが咲き始めるともう秋の気配です。
 
神楽女湖にヒガンバナがなく、本命の内成(うちなり)に車を向かわせます。
 
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内成は石仏の宝庫でもあります。
 
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1000枚を超えるともいわれるこの棚田一面にヒガンバナが咲くのですが・・・
今年は数株見れただけ。
残暑厳しいからですね。
 
この様子では秋分の日をこえて9月末ごろかなあ。
 
帰りに隠山にも寄りました。
 
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キリシタンはじめ数々の伝承に彩られた隠山。
別府中心地から近いのに別世界が広がる。
ココも棚田が美しいところです。
 
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隠山にて、ヒガンバナかと思ったら
夏の花、キツネノカミソリでした。
 
キツネノカミソリが咲いてるようではまだまだですね。
 
Nさんご夫妻。以上大将が別府よりお届けしました。
 
しあわせしあわせ。
 

ギュウー。

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大将は体力だけは自信があり、
休みの日につかれたと寝転がっていることはまずありません。
 
どんなに夜が遅い日が続いても休みの日には
朝早く起きて国東や別府の山中に怪しい石像を探しに行きます(@@)
 
いえいえ、石像ばかりでなく植物も大好きなのです。
しかし鬼の霍乱か、この夏はプチバテなのです。
 
女将が心配して美味しいものでもというので^^
 
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特上牛タン焼き。^^
 
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中落ち牛タン焼き。^^
あまりの美味しさにおかわりしました。
 
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テールスープも美味しい。
大分市都町、仙台牛タン専門店「政宗」。
へんろみちの通り、すぐご近所です。
いつ来ても笑顔の素敵なご夫婦が迎えてくれます。^^
 
大将から聞いたといえば一枚多くしてくれるかも(^^)
 
しあわせしあわせ。

大分学研究会  ~大友宗麟墓地公園

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津久見市にある大友宗麟墓地公園を
辻野教授の講義を拝聴しながら大分学研究会メンバーで訪ねる。
 
大友宗麟は享禄3年(1530年)誕生。織田信長より4歳年長、豊臣秀吉より7歳年長である。
 
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15世紀ヨーロッパでは地理上の発見が相次ぎ、
大航海時代が幕開けする。
いち早く航海術に長けたスペインとポルトガルが
世界地図を染める勢いで版図を拡大する。
そして両国は植民地をめぐっての争いを回避するために
トルデシリャス条約(1494年)、その後サラゴサ条約(1529年)にて地球を勝手に二つに分断して
お互いの領域を決めた。
 
そのサラゴサ条約での両国の分岐線上で極東の日本は分断される。
その上遅れてきたイギリス・オランダまでもが「黄金の国、ジパング」
との貿易を求めまさに当時の日本は世界の覇権争いの中心となる。
 
それだけではなく宗教改革に対抗する形で1534年ロヨラがザビエル等とイエズス会を創立。
そしてザビエルは1549年日本に上陸する。
 
そういうヨーロッパ強国による覇権と宗教対立がそのまま日本を舞台に
押し寄せた時代、宗麟は生まれ育つことになる。
 
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キリシタン大名宗麟のキリスト教式の墓は戦後に磯崎新氏の設計により
再建された。
 
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大友宗麟の初めの墓は伴天連追放を決めた秀吉の意向を汲んで
子の大友義統により破壊、仏式の墓に替えられた。(この墓もその後改装されたものである。)
 
この宗麟墓地公園には大友宗麟の花押(サイン)もある。
 
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受洗してキリシタンになりドン・フランシスコと称した当時の宗麟の
花押がある。
 
わずか19歳で大友家21代当主となった宗麟。
多感な青年時代にこの国の将来に何を見たのだろうか。
 
しあわせしあわせ。
 
 
 
 
 
 
 
 

堂前庚申塔

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国東市国見町竹田津西方寺。
 
国東特有の深く分け入った谷の奥に眠るキリシタンの礼拝対象の石像。
堂前庚申塔。
 
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自然石にそのまま彫られた東欧の教会のイコン(聖画)のような
とても優しい顔立ちの像。
 
十字架をしっかりと握りしめ慈悲のまなざしで困窮の村人を
見守り続けたのであろうか。
 
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大分の人にもほとんど知られていない
国東特有のキリシタンの礼拝対象の遺物。
 
天草・島原にもこういうのは無いのである。
迫害後もかなりの母数で密度で潜伏キリシタンが残っていたからこそ
こういう石像が造られたのであろう。
 
 
これこそとても貴重な大分の誇れる遺産である。
 
しあわせしあわせ。
 
 
 
 
 

内成の秋

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昨日、夕刻、お店の仕込みの帰りに
 
別府市内成に寄ってみました。
 
今年は遅いヒガンバナですが・・・
 
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まだ棚田上部に限りますが、彼岸花が咲いています。
 
今週末には見ごろでしょうか。
たくさんのにわかオジサンカメラマンが予想されます(^^)
 
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棚田一面に咲くヒガンバナは日本一の棚田共々
とても美しいものです。
 
しあわせしあわせ。

石橋とヒガンバナ

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宇佐市院内町。
 
日本一の石橋の町。
 
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鳥居橋。
 
大正5年。
橋長 55.15M
 
ヒガンバナと石橋。
 
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5連アーチの美しい橋。
「石橋の貴婦人」と呼ばれる。
 
しあわせしあわせ。

御沓橋

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宇佐市院内町。
 
とても心の休まる場所。
年に数回必ず訪れる。
 
御沓橋(みくつばし)。
 
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一気に咲き始めたヒガンバナ。
 
大正14年。
橋長59Mの院内町最長の橋。
 
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中世のヨーロッパに迷い込んだような
とても美しい3連アーチ橋。
 
しあわせしあわせ。

久地橋。

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妻を連れて石橋を見に行く。
 
ヒガンバナの時期も美しいとブログの仲間に教えていただいた。
 
宇佐市院内町。
この地に江戸時代からその数75基もの石橋が築かれた。
 
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その一つ、久地橋(きゅうちばし)。
 
ヒガンバナに迎えられて谷へ降りる。
 
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久地橋。
明治初期。 橋長 7.15M。
 
大分特有の凝灰岩を削りながら狭く深い河が流れる。
よって木の橋では流されるためにローマ式のアーチ橋が造られた。
 
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しかしこれは、大分ではとても珍しい桁橋。
 
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大将でも渡れます。
 
しあわせしあわせ。

富士見橋

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大分では当たり前でも他県の人が見ると
とても驚くもの。
 
磨崖仏、キリシタン遺物、そしてこの石橋もその一つ。
 
九州以外ではきわめて珍しい古い時代のアーチ式石橋。
 
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富士見橋。
大正14年。
橋長 48.1M。
 
由布岳(豊後富士)を眺望できることからその名がつけられた。
 
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とても美しい3連アーチ橋。
 
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紅葉の頃、もう一度ゆこうかなあ。
 
しあわせしあわせ。

分寺橋

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稲穂が黄色くなり始めていた。
 
とても静かな宇佐市院内町。
 
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分寺橋(ぶじばし)。
大正初期。
戦時中の昭和20年に大改修される。
 
小さな集落を結ぶ3連アーチ橋。
 
しあわせしあわせ。
 
 

御仮屋橋

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宇佐市院内町の石橋。
 
御仮屋(おかりや)橋。
 
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明治25年。
 
現在は近くにコンクリート橋が出来て廃橋になっている。
 
大分には院内町に限らず、臼杵市、豊後大野市、竹田市、中津市、杵築市・・・そして別府や大分にも
たくさんの石橋がある。
とくに臼杵市や豊後大野市にはこのような廃橋がたくさんあり、
一部は道さえも廃道になってアクセスが困難な石橋もたくさんある。
 
橋の上は草ぼうぼう。^^ヒガンバナがアクセントになっている。
 
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髪飾りかなあ^^
 
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橋全体が植物におおわれてなかなか良い味わいになっている。
 
しあわせしあわせ。

気配

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そろそろ別府も秋の気配。
 
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花きセンター  ムラサキシキブ
 
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別府公園  ヒガンバナ
 
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南立石公園。
 
今日の別府です。
 
しあわせしあわせ。

橋詰水路橋

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「石橋、感動します。もっと見せてください。」
 
主に転勤族のお客様より多くの声が寄せられましたので^^
 
コスモスも咲き始めた宇佐市院内町を橋を探して妻と行きます。
 
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過疎化の激しい院内町の小さな集落に
石橋が残ります。
 
橋詰水路橋。
 
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全国には約1340の石橋があると言われます。
 
そのうち大分には367基もの橋があり三割を占めて、もちろん全国一です。
二位が熊本県で330基、この二県で全国の半分以上を占めます。
 
大分・熊本を含めて九州で1220基以上となり、九州以外では
石橋はほとんどないことが分かります。
 
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橋詰水路橋は江戸末期のもの。
やはり全身、シダ類、植物におおわれています。
 
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水路橋ですが、人道は兼ねています。
一見アクセスが厳しそうですが人家の裏から近寄れました。
 
しあわせしあわせ。
 
 
 

牛すじぶっかけ

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♪ まかないで~ まかないで~~ ♪
 
お店のまかないはいつも大将がつくります。
舘ひろしの名曲「まかないで」を鼻歌交じりで歌いながらつくります。^^
 
美味しそうな牛すじがあったので
金曜日に下処理してしっかり煮込みました。
 
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へんろみちの出汁と砂糖・醤油、そして生姜。最後に赤ワインをいれて
グツグツと。
 
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やわらかくなった牛すじ、ぶっかけうどんでいただきます。
 
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かけうどんにしてもなかなか美味しいなあ。
 
ちょっと手間がかかるけど
期間限定メニューでこの冬にでも出そうかなあ。^^
 
しあわせしあわせ。
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